[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
午前5時、私は室田鉄二さんのベッドの前に立った。寝たきりの室田さんが怯えた目でこちらを見つめている。言葉もわからなくなった室田さんだが、感情だけはしっかりと持っているようだ。
私はしばらく室田さんを見下ろしてから、「ふう~」とため息をついて手袋をはめた。医師が手術の時に使うような、肌にぴったりと密着するビニル製のものだ。
次に・・ティッシュペーパーを丸める。ゴルフボールくらいの大きさに3個。最後に調理室から持ってきた、ご飯を盛るときの「しゃもじ」を室田さんの胸の上に置く。これらを準備すると、私はベッドの端に腰かけた。
「室田さん、さあ、いくよぉ~」,
まずはしゃもじを逆さに持って、握りの部分を室田さんの口へと差し込んでゆく。室田さんは口を開けまいとして、必死に歯を噛み合わせてブロックしている。
「頼むやめてくれ」とも「何すんだコノヤロー」ともとれる目がしっかりと私の顔へ向いている。
「アウー、アウー」
ここ2~3ヶ月の室田さんは急激に体が弱り、大小便は垂れ流し、寝返りは打てず、食事も液体栄養食を経口で採っている状態だ。手や足は棒切れのように細くなって、ちょっと目をはなすと口の中が痰でいっぱいになってしまう。こちらの言葉も、もう100%近くわからないだろう。
「室田さん、少しでいいから口を開けてくれないかな。口をね、開けるの、 わかる? わかってるの?」
「アウー、アウー」
歯の噛み合わせに少しだけ隙間ができたところで、すかさずしゃもじの柄を突っ込む。
「!!・・アゴォー」
室田さんは上下の歯でしっかりとしゃもじを噛んでいる。これ以上は入れさせまいと抵抗している、物凄い顎の力だ。私はそのしゃもじを、ごくゆっくりと、かつ力を込めて90度回転させてゆく。
しゃもじの柄が横から縦になった時、上下の歯の間に3センチ程の隙間ができる。
「アウッ、アウーーー!」
しゃもじを左手でしっかりと固定し、空いている右手で、先ほど丸めておいたティッシュペーパーをつぶして口の中にいれる。そして人差し指と中指2本で口の内壁をぐるっと拭う。ひととおり拭った後、そのティッシュを口からゆっくりと出す。
ズルズル~。
出てきたティッシュは大量の痰を引きずっている。さらに口元で、そのティッシュを1回転、2回転と回す。回るティッシュに口の中の痰がさらに巻きついて出てくる。
ズルズルズルー。
「アウッ!・・アウアウアウーー」
「すごいねー、室田さん、すごいわぁ、いやあー大漁だぁ」と私。
「いあやー、どうしてこんなに採れるのお、どうして、どうしてさぁ」
まだ採れる、まだ採れる、と、作っておいたティッシュ球3個はあっという間に使い切ってしまった。
痰は非常に粘い濃緑色で、赤い血のようなものや、食べ物のカスのようなものが混ざり、見ているだけで気分が悪くなるしろものだ。ある意味、大便よりも気色が悪い。
だまっていると4~5時間で口の中が痰でいっぱいになるので、ときどき採っておかないと、窒息の危険があるのだ。仰向けでは喉に詰まる可能性もあるので、横向きに寝てもらっている。床ずれができはじめているので、時々人為的に寝返りを打たせる。全くもって手間がかかる。こんな人を自宅で介護したら、恐らく、すぐに死んでしまうだろう。本人ではなくて、介護をしてる家族が、だ。・・過労でね。
「いやー大変だ。オレも大変だけどさあ、・・室田さんも、大変・・だよねー」
目だけ生きている室田さんに語りかけながら、私は後片付けをする。室田さんの目はさかんに何かを訴えているが、それが何なのか私には解らない。
早いもので今年も1年が終わろうとしている。明日は大晦日だが、室田さんは自宅へは帰れない。年越しくらいは、家につれて帰るか・・と長男さんの希望があったと聞くが、数日前に様子を見に来たお嫁さんが猛烈に反対したようだ。
「いいさ、俺が一緒に年、越してやるよ」
私は室田さんの目をじっと見つめた。